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NERO

MILLHOUSE PRINT SHOP x NERO * * * * 展
ストリートから時を経て、芸術の域へと到達しはじめた類まれなアーティスト

Photo & Text:Kana Yoshioka

ストリートを拠点に活躍するアーティストNERO(ネロ)の初となる個展「MILLHOUSE PRINT SHOP x NERO * * * * 展」が、代々木にあるプリントカンパニー「MILLHOUSE PRINT SHOP」にて開催された。

「* * * *」とは、「チョメチョメ」。ストリートで活動をしていくうちに、グラフィティとは何ぞや、アートとは何ぞやと模索しはじめ、気になることに関してとことん深掘りを開始。そのうちあれもこれもが繋がりはじめ、今回の展示では、リンクしていった世界観をオリジナルの手法で表現をしてくれた。

他に観たことのないNEROの創造の世界は、カオスでありながら、実に真髄をついている。



ストリートではじめたきっかけはなんだったんですか?

NERO:友達の影響で。幼馴染が『KAZE MAGAZINE』を持ってきて「何!?」みたいな。そのときはまだ、桜木町のグラフィティがあって、実際に見に行って「ヤバイね」となって。それでクラブにボムったら探されてしまい「ヤバイな」というのが始まりですね。

ステッカーはいつ頃から始めたんですか?

NERO:今のスタイルは始めてまだ1年くらいなんですよ。それまでは小さいステッカーを目立たない場所に貼っていたんですが、大きなサイズで目に留まるように変えていきました。誰にも見られない場所に貼っても意味がないと思って、目線を意識して貼り続けています。

タグを残していくやり方もありますが、最終的に四角の中(ステッカー)に辿りついたのだなと。

NERO:そうですね。5年前にいろいろ試していたのですが、あまりハマらなくて。文字が目にストレートに入ってこなかったから「おばあちゃんにも伝わるように」と考えた挙句、今のフォントにたどり着きました。それを人目につく場所にバンバン貼って反応を見ています。


とにかくストライクを投げ続ける。

NERO:まず最初に半年間、同じ高さでストレートに真っ直ぐ貼り続けることから始めて、次は高さを変えて半年間。1年経った頃には、ステッカーを上下逆さまに貼ったり、斜めに貼ったり試行錯誤していました。すると誰かが、自分が貼ったものを剥がしたり傷をつけたりして、何かしらのリアクションが返ってきます。その傷を受けたものを写真に撮り、新しいステッカーにしてそれをまた貼る。それが対話のようで面白いんです。

ステッカーを貼って終わりではないんですね。

NERO:そうなんです。例えば街中で貼ったステッカーが誰かに削られてしまった場合、その近くに新しいものを貼って、誰がそれをやったのか、そしてその人はどんな気持ちでそれをしているのかを考えたり。相手はそれにどう反応しているのかという心理的なやり取りも大切にしています。それと「NERO」の「N」が削られて「ERO」になっていたりして、一体自分の名前は何なんだろう? とか (笑)。

ストリートという場所を使っての対話ですね。

NERO:このアイデアは偶然浮かんだんです。知り合いが、ステッカーの剥がされ方で「ガリガリと削られた傷は嫌だ」と話していたことが頭に残っていて、けどその傷やダメージを逆に使ってみるのも面白いなと思って実験してみたんです。これはスケートボードのデッキの裏の傷にもリンクするのですが、その傷を見るとその人がどんなトリックをやったかがわかる。それと同じように、タトゥーや手術をした跡にも、その人がどんな経験をしたかが見て取れる。そういう感覚に近いかもしれません。ただ今はまだ実験段階なので、文字をもっと読みやすくしたり、もしかしたら途中で嫌になったりしてしまうかもしれませんけど、試行錯誤してやっています。

「Imagination Mafia」

こちらのインスタレーション、おそろしく可愛いですよね!

NERO:ありがとうございます。2013年頃にシルバニアファミリーの人形を遊びでギャグっぽくしたり、ヤクザのようにして戦わせたものを制作していたことがあるんです。それでこの作品のタイトルをどうするか考えたときに「イマジネーションマフィア」でいいよね、となりました。この作品ではシルバニアハウスを白くペイントし、キラキラした映像を投影させて今の世の中っぽい感じにしていますが、本当は壁に映っている影を見て欲しくて。支配とシステムにコントロールされた人生設計が自分にはしっくりこない。実際に街を歩いていると住宅が沢山建っていますが、決められ、作られた型の集まりに思えたんですよね。なので資本のシハイシステムをキラキラポップにしてみました。

街の中に目のクリッとしたワンちゃんがいるのがたまらないですね(笑)。

NERO:この犬は脱走中なんですけど、脱走している間に首から引きずられたチェーンが絡まって巻きグソになり、同じ場所をグルグル回るんですよ(笑)。これを見ていたらいろいろと考えさせられて。まわりの環境やルールに捉えられ、自分で勝手にグルグル回り、気づかないうちにジワジワと自分の首を絞めている。そしていつの間にか身動きが取れなくなっていくところが人間と似ているなと。そう思うとこの犬がまたひとつのインスタレーションになってくる。

「叩かないで抱きしめて – Hug Me」

そしてファーのサンドバッグにはヤラレました(笑)

NERO:今回の展示をサポートしてくれた、YUKA NAKAMORIとの作品なのですが、彼女は過去に「Vivienne Westwood」や、日本でボンデージファッションを広めた「AZZLO」といったショップで働いていたこともあり、デザインや制作の技術にも精通しています。また、カルチャーへの深い造詣を持ち、ファッションだけでなく、幅広いアートや文化に対する理解と興味も強い人物なのでサンドバッグの制作を依頼しました。家に笑い袋がいっぱいあって何かに使いたいなと思っていたんです。最初はサンドバッグをムチで叩くと笑う、みたいなことを考えていたんです。だけど多分みんな引くだろうし、叩いてくれないだろうなとなって。

YUKA NAKAMORI:企画を考えているときに、アンディ・ウォーホルとバスキアの「最後の晩餐」が描かれたサンドバッグが目に入り、そんなときに寺山修司の映画『書を捨てよ町へ出よう』を観たんです。新宿の歩行者天国で男性器の形をしたサンドバッグをぶら下げて、「腹が立つ人はどうぞ殴ってください」というパフォーマンスがあり、「こういう『何コレ? 笑』みたいなのを作りたいね」と話していたんです。そこで、いつも黒くて叩かれてばかりのサンドバッグを、フワフワでカラフルなファーのサンドバッグにするアイデアが生まれ、まったく逆バージョンの叩かないサンドバッグを作ろうと決めて、形はマイク・タイソンが使用していたサンドバッグを参考にしました。そして、そこにNEROが溜め込んでいた笑い袋のタネを仕込み、抱きつくとサンドバッグが笑う。完成してみると、「何コレ?」となりました(笑)。

「聖書 or 性書」

こちらのセクションにはやられました。エロに興味を持ちだして、それを前面に打ち出してみようと思ったきっかけは?

NERO:実はエロがコンセプトのアパレルブランドを運営していて、最初は勢いよくスタートしたけどすごく大きな壁にぶつかり、それから抜け出せなくなったんです。その時にエロを考え始めて調べました。結果として今回の展覧会では、NEROとエロというテーマが自然に混ざり合う形になりました。

ここに置いてある雑誌や本の揃いも凄いですね。

NERO:例えばこの本には、戦後の皇居前広場について書かれているのですが、焼け野原になって連れ込み宿など何もないときに、パンパン(娼婦)が毛布を持ち「ギブミーチョコレート」という隠語で客を取り、皇居前広場で外国人とやっていたと。あと昭和時代のエロ本を切り抜いていて思ったのですが、日本と外国のエロ本って全然違うんですよね。日本人はドラッグポルノに漬けられているというか、ドラッグポルノというのは、行為がメインの“やっている”感じですね。戦後GHQの政策で日本人をドラッグポルノと海外の映画漬けにしろということで、アメリカンナイズされてきているんです。海外だと例えば『SKIN TWO』のようなフェティッシュカルチャー雑誌だったり、『PLAY BOY』やエロ写真集であっても女性の体のラインを綺麗に見せているのですが、日本はやってる感が満載のものが多くて、綺麗というよりは生々しい。年代によってモザイクのかけ方も違っていて、それが今見るとなかなかいいんですけどね。

確かに日本のエロ雑誌は性行為そのものが多いですね。顔の美しさとかどうでもいい。

NERO:そうなんです。日本は“それ”オンリーの雑誌がほとんどです。外国のエロ本は体を綺麗に見せるよう作られていますが、日本は行為が前面に出ているという点が特徴的ですね。そう考えると日本のエロの独自性が見えてくるんですよ。そういえば子どもの頃、家の近くにレンタルビデオショップがあったのですが、店の入口には楽しそうなビデオでいっぱいなのに、奥のアダルトコーナーには荒縄で女性が吊るされているビデオがあって、子どもの自分にはその違和感がすごく強かったんです。母親に聞いても「見ちゃダメ」と言われ、エロに対する探究心はそのときから強くなっていったんでしょうね。


エロに対する価値観や考え方が変わった瞬間はありますか?

NERO:ありますね。以前、キリスト教の人たちが路上で配っていた本『命の道』に出会ったことがあったんです。その本にはキリスト教の教えがイチから説明されていて、最後は地獄と天国の見開きのページで終わるのですが、それが罪と罰、エロや命について深く考えさせられるきっかけになりました。原罪の前の事など。日本のグラフィティも罪になる前の時代がありましたから。最終的に「やるかやらないか、それしかない」と思うようになったんです。車やビル、 物質的なものは結局虚像にすぎないし、エロも結局「やるかやらないか」の選択に過ぎないと感じたんです。

それはストリートでやるかやらないかにも繋がってくるじゃないですか。

NERO:そうなんです。やるしかないという。世の中は飢えと色。愛とユーモア♡

ところで「* * * * 展」とはどのように読みますか?

NERO:「チョメチョメ展」……説明し切れないですね。このような形で展示会を行ったのは今回が初めてですが、自分1人では到底無理なことで、声をかけて一緒に制作してくれたMILLHOUSEや、手伝ってくれた人達がいて開催できました。そして会場に足を運んでくださった皆様にも感謝しています。ありがとうございます。これが終わって落ち着いたら過去の歴史を振り返りながら、火の出るおもちゃみたいなものを作りたいなとも考えていて、ウォーホルが資本に気づいたとき、彼はそれをきちんと調べた上で表現したと思うんですけど、自分もきちんと整理した上で火が出るおもちゃを作らないと、すべてボヤっとしたままになってしまう。だから今は掘り進めている途中なんですけど、しかしこれがなかなか進まない(笑)。

掘っていったことは他にもありますか?

NERO:寺山修司や三島由紀夫を教えてもらい調べていたら、それに近い人が、「現在の日本は空虚だ」と言っていたんです。それで何が空虚なんだろう?となり、突き詰めるときりがないのですが、その空虚さがどのような形で生まれたのか、さらにその前に何が起きていたのかを掘っていったりもしました。日本の歴史を掘り下げていくうちに、1970年に万博が始まったあたりから、日本は空虚になり始めたんじゃないかと思ったんです。また、1920年にキュビズムで、パブロ・ピカソ とジョルジュ・ブラックのやり合いを見て、グラフィティの3Dはベイビーすぎるなと思ったり、そんな時に世界の路上演劇を観ていたら1950年代のニューヨークが出てきて、Wikipediaでは1960年代がグラフィティの発祥だとなっているのに、1950年代のハプニング路上劇の中ですでにカッコいいタグが描かれているんです。

へえ!

NERO:しかも、そのタグはすでに完全に整っている。つまり、グラフィティはもっと前から存在していたということですよね。そこからスプレー缶の起源についても調べてみたんです。するとスプレー缶は戦争から生まれた技術で、テクノロジーと戦争とアートは密接に関わっていることを知り、これは掘らなきゃダメだ!とか……まだまだやることが沢山ありますね(笑)。


NERO

ボミングの中で自身のスタイルを確立したNERO。現在はステッカーを通して、鑑賞者や清掃する人、無理やり傷をつける人などとの距離を測っている。

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