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Cheech Wizard Tribute
Mark Bodé

ヒップホップとグラフィティのDNAを受け継ぐアーティスト
マーク・ボーデ インタビュー

Words: Hidenori Matsuoka
Essay & Interview: Alexander Mitchell
Transrator: Ryosei Homma

チーチ・ウィザードというアメリカのアンダーグラウンド・コミックのキャラクターをご存知だろうか。

日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、チーチ・ウィザードとは、アメリカのアンダーグラウンド・カートゥーニスト、ヴォーン・ボーデ(Vaughn Bodé, 1941-1975)が1957年に生み出したキャラクターで、星柄で飾られた非常に大きな黄色い帽子をかぶり、その下には赤いタイツらしきものをはいた足が見える魔法使いのことである。

彼の本当の姿は明かされていないが、彼の目を見ると気が狂うか、盲目になってしまうとされている。そしてその姿を見ようとする者は、たいていチーチに股間を蹴られてしまうのだ。

チーチは女と酒と喧嘩のために生きている。人生を闊歩し、皮肉とストリートの知識を伝える教祖であり、カウンターカルチャーを最も純粋な形で体現している。そしてチーチはグラフィティを定義する。ニューヨークの最初期のグラフィティ・ライターたちは、チーチの反骨精神に自分たちを重ね合わせ、彼をグラフィティの最初の“公式マスコット”と呼んだ。チーチは、この時代のアンダーグラウンド・アート、音楽、ダンス、後にヒップホップとして知られるようになるものへと形成した、反権威主義的サブカルチャーのアイコンとなったのだ。

そのチーチは、故ヴォーン・ボーデの息子であるマーク・ボーデ(Mark Bodé, 1963-)によって今なお描き続けられており、なんとこの春、マーク・ボーデによるチーチ・トリビュートとしてのアートショー「The Bodéverse」が東京で開催されるという事件が起こる。そこにはチーチの遺産によって育てられたというオス・ジェメオスをはじめとする世界的に影響力を持つアーティストたちが名を連ね、彼らのイメージによって作られたチーチへのオマージュ作品が展示されるというのだ。

チーチの反権威主義的精神は永遠であり、チーチの帽子を描く勇気を持つ人々によって、世界中のウォールやブラックブックにこれからも受け継がれていくだろう。






ヒップホップとグラフィティのDNAを受け継ぐアーティスト、マーク・ボーデの世界をヒドゥン・チャンピオンが探求する。マーク・ボーデにとって初のアジアでの個展となる「The Bodéverse」は、間違いなく日本のグラフィティ・コミュニティにとって避雷針となるだろう。しかし、マーク・ボーデの作品は、グラフィティの基盤をはるかに超えて、驚くべき場所へと広がっている。

マーク・ボーデは、70年代のニューヨークのカウンターカルチャー、アンダーグラウンドコミック、ビートニク・ムーブメントの先駆者である父、ヴォーン・ボーデの遺産を受け継いでいる。ヴォーンのアンダーグラウンド・コミックは、過激でアダルトで破壊的で、グラフィティ文化の礎となり、バブルレタリングのスタイルにインスピレーションを与え、グラフィティ初の公式マスコットと言っても過言ではない、チーチ・ウィザードを生み出した。

チーチ・ウィザードは、グラフィティの歴史において最も象徴的なキャラクターであり、世界中のアーティストにとって通過儀礼となっている。チーチは、1970年代から壁、電車、ブラックブックを支配してきた。彼は、グラフィティの反骨精神、自己決定、反体制精神のアバターである。チーチは、帽子の下に隠れた全能の魔法使いである。彼は酒を飲み、タバコを吸い、ファックし、信者に皮肉な知恵を授ける。もしグラフィティに神がいるとしたら、それはチーチであり、ヤレる可能性があるのなら、彼はその役割を引き受けるだろう。

マーク・ボーデはボーデバースの中で育った。そこにはチーチとその仲間たち、そして彼の父親と、ジェフ・ジョーンズ、スペイン・ロドリゲス、ロバート・クラム、フランク・フラゼッタ、ラルフ・バクシといった当時を生きた人々もいた。アートのアンダーグラウンドの伝説に囲まれて育ったマークは、ペンを持つことができた瞬間から、父親と一緒に制作を始めた。ボーデバースは彼らの世界であり、今日に至るまで、彼らは共にそれを形作ってきた。

グラフィティアーティストでもあるマーク・ボーデの影響力は、オス・ジェメオス、レボック、ドンディ、ゼファーといった仲間のパイオニアとの継続的なコラボレーションにまで及んでいる。また、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』のようなプロジェクトへの貢献は、ボーデのユーモアとカウンターカルチャーの精神を、現代のコミックと新しい読者に紹介した。

近年、マーク・ボーデは主要なギャラリーや注目度の高い展覧会で作品を発表し、現代アートの文脈における彼の文化的遺産を確固たるものにしている。ロサンゼルス現代美術館(MOCA)、ペロタン上海、ニューヨークのジョナサン・レヴァイン・ギャラリーでの展示は、グラフィティ、西洋のアンダーグラウンドコミック、ヒップホップ文化の真のルーツを体現するアーティストの発掘に熱心な批評家、キュレーター、コレクターたちの注目を集めた。このムーブメントの原点との真のつながりに触発され、オス・ジェメオスのような確立されたボーデの支持者に続き、新世代のコレクターたちが彼の作品を求めるようになり、マーク・ボーデは現代ストリートアートにおいて最も重要なアーティストの一人として地位を高めている。

マークは、オール・シティ、オール・プラネット、オール・ボーデバースなのだ。


Essay from Alexander Mitchell


あなたのことは長い間知っていますし、あなたを通して父親のヴォーン・ボーデも知っているように感じます。ビデオを見ると、あなたは父親と多くのしぐさや行動を共有していることに気がつきました。あなたは父親とどのように違うと思いますか? また、インタビューを通して、私たちが知っていること以外に、父親はどのような人だったか教えてください。

DNAには記憶があって、世代から世代へと受け継がれるものなんだ。僕たちが同じ年齢の頃、父と僕は見た目も話し方も、絵の描き方も似ていたよ。父は仕事中毒で、大量のコーヒーとホステスのスノーボール(ジャンクフード)を食べながら、時には48時間ぶっ通しで働いていた。そういう時に父は頭の中で好きな宇宙へどこへでも行くことができ、またゼロから作り出すことも可能だった。僕の作品は多様性をベースにしており、ボーデ家だけが行くことのできる普遍的な場所の本質的な知識を共有し、新しい物語を紡いでいるよ。その点で僕たちはとてもよく似ているけど多くの部分で異なるものもあるんだ。父は非常に輝かしい人生を送ったけれど、それは短く激しいものだった。僕は子供の頃に父のセクシャリティや個人的な問題を目の当たりにし、まるでサイクロンの中心に立っているようだった。父にはなかった、人生の中心となる安定した位置にいるように今は思っているよ。僕は親友のモリーと40年以上も結婚生活を続けており、僕たちは素晴らしいチームなんだ。父はあまり安定してなかったけど、僕はクレイジーな人生を送ることなく、父からはDNAの良い部分だけを受け継いだと思っているよ。

あなたが生まれたその日から、「ボーデバース(Bodéverse)」はあなたの父親との共同作業でした。このような世代を超えた家族のコラボレーションが、アーティストとしてのあなたのアイデンティティの中核をなしていることについて、どのように感じていますか?

僕は何度も言ってきたんだけど、それは心からの言葉なんだ。誰もが人生で愛する人、親友、家族を失い、それは耐え難いことであり、彼らなしでは生きていけないように思えるだろう。子供の頃、父は僕に自分が描いた短編漫画を読んで聞かせ、「これは昨日、チーチ・ウィザードが僕とやったことなんだよ。彼を探しに行こう!」と言ったことがあった。僕たちはランチを詰め込んで、アパートの近くの丘の上でチーチ・ウィザードを待つことにしたんだ。彼は、キャラクターを現実のものとして僕に想像させていたんだ。そして幼かった僕は、彼らが本当にいると信じていたよ。僕たちが出会えなかったのは、ただタイミングの問題だけだった。僕の子供時代は父と仕事をするための準備期間だったように感じるよ。1975年に父が33歳で亡くなったとき僕は12歳だった。僕は孤独になり、夢が終わってしまったように感じていたけれど、キャラクターたちは家族の一部であり、僕らの想像上の友達であり、父の血肉と同じくらい父の一部だった。だから聞きたいんだ。もしあなたが失った、心から愛する人に命を吹き込むことができるなら、こうするんじゃないかな?って。 僕の子供時代は12歳で終わり、そのキャラクターたちを生き続けさせることに人生を捧げたんだ。そのおかげでいつも生計を立てることができたよ。長年にわたり、他の著名な作品やベストセラーのコミックをいくつも手がけたけど、ペンやマーカー、ブラシ、スプレー缶を手に取り、ボーデ・ユニバース(Bodé Universe)への帰路につく時ほど満たされることはないんだ。

グラフィティに惹かれたのはなぜですか? それは家族の作品がグラフィティ・シーンで象徴的な地位を確立していたからでしょうか、それともなにか違う理由がありましたか? チーチのグラフィティに対する影響を考えると、多くの第一世代のライターたちがあなたを自分の弟子にしたいと思っていたのではないでしょうか。その経験はどのようなものでしたか?

正直に言うと、僕のキャリアの初期はコミックだけを描いていた。しかしグラフィティ・アーティストやタトゥー・アーティストたちが、僕たちのファミリーのキャラクターを電車や壁に描いたり、皮膚に彫ったりしている様子を目にするようになり、僕たちの作品を本当に素晴らしい形で表現していることに気がついた。それを見て常に挑戦を求める僕は、「少なくとも自分でも同じくらい、いやそれ以上にうまくできるはずだ」と感じたんだ。そしてスプレー缶を手にした途端、すぐにグラフィティ・アーティストたちが僕に教えようと申し出てくれた。それはRTW(Rolling Thunder Writers)のドクター・レボルトとゼファーで、彼らは80年代前半にニューヨークで「WILD STYLE」という言葉を定着させた張本人だった。80年代半ばからグラフィティ界の大物たちとペイントするようになり、それぐらいからスプレーを使いこなせるようになった。僕が初めてスプレーで描いた作品は、1986年頃に出版されたグラフィティの象徴的なバイブル「Spraycan Art」に載ったんだ。カリフォルニア州オークランドの倉庫のドア数枚にボーデ・ブロード(Bodé Broad ※女性のキャラクター)を描き、驚いたことに友人がそのドアを保存してくれていたんだ。僕は2005年にそれらをもらい、サンフランシスコのスタジオに飾っているよ。僕はスプレー缶の世界を自分自身のものとして受け入れ、今では最も好きなメディアになった。それに25年間タトゥーを彫っていたけど、今はもう彫ってない。他の仕事が忙しすぎて、タトゥーショップで働く時間が取れなくなったからね。僕はタトゥー業界で一緒に仕事をした人たちを愛しているけど、そろそろコミックとグラフィティに戻る時が来たと感じた。なぜなら50年後、100年後に僕たちが知られているのは、おそらくコミックとグラフィティの2つの業界だけだろうからね。



コミックの話に戻りますが、ケビン・イーストマンとピーター・レアードはどのようにしてあなたに連絡したのでしょうか。また、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』の制作はいかがでしたか? あなたの個性や独特のスタイルは、コミックにどのように反映されていますか?

アニメや映画になる前の『ニンジャ・タートルズ』を描いた最初のアーティストチームの一員になれたことは、ほとんどのコミックアーティストが経験できない幸運なことだったね。ケビンとピートはコミックでたちまち大ヒットを飛ばし、それがアメリカで白黒の動物コミックの連鎖を生み出したんだ。僕も彼らのブームに乗って、大ヒットしたテレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』のパロディ『マイアミ・マイス』を制作したんだ。それはたちまちヒットして、1年で18万部を売り上げた。その年に「サンディエゴ・コミック・コン」で、父の作品のファンだったケビンに偶然出会ったんだ。彼が父の作品を数ページ購入した後、僕は『マイアミ・マイス』の最終作である4作目にタートルズをゲスト出演させてもらえないか尋ねてみたら彼は快諾してくれたんだ。僕たちは一緒にジャムセッションを楽しんで、その後に彼は僕をオリジナルの『ニンジャ・タートルズ』の第18号から担当しないかと誘ってくれた。その号では、ブルース・リーが悪のフードチェーンギャングと戦うためにチームを組み、そのギャングは物語の悪役であるムシュー・ビーンカードが率いているというストーリーなんだ。それと第32号では、私の妻モリーがタートルズに救われるベリーダンサーの考古学者として登場するんだよ。僕はもう1つ「Time Pipeline」というタイトルの号を描いたんだけど、それはタートルズがボーデの惑星にタイムポータルで転送されるというストーリーなんだ。90年代のその頃、僕たちはまるでロックスターのような生活を送っていた。リムジンや高級ホテル、プレミア上映やイベントには多くの俳優やミュージシャンが参加していた。すべてはタートルズの絶大な人気のおかげだよ。ケビン自身が父の影響を受けたと認めているように、ボーデのスタイルは明らかに融合していた。タートルズの最初の絵の、手と足にボーデの影響が見て取れるよ。

チーチ・ウィザードとリザード(緑のトカゲのキャラクター)は、世界中のグラフィティの核心的な要素となっています。アメリカから南米、アジア、オーストラリアへと旅をし、一度も会ったことのないアーティストたちが描いた壁に、これらのキャラクターが登場しているのを見るのは、素晴らしいことでしょう。あなたの作品が、より大きなグラフィティ・ムーブメントの重要な一部になっているのを見て、どのように感じますか?

これらの個人的な小さな作品が、これほど完全に世界中に広がる可能性があるという考えに僕は驚き、また謙虚な気持ちになっているよ。都市や田舎の場所まで足を運び、チーチ、リザード、ボーデ・ブロードを見つけたことがある。それは、父と僕がいつも一緒に共有してきた、別の世界、別の宇宙からの魔法のような波で、「どこへ行こうとも、ここはあなたの家だよ」と僕に語りかけているようだった。

ここ10年ほどの間、オス・ジェメオスが、あなたが現代アートの世界で地位を確立する上で重要な役割を果たしてきたように思えます。彼らのサポートはどのようなものでしたか? また、サンフランシスコで一緒に制作した巨大な壁画について、詳しく教えていただけますか?

あの2人は僕にとっては家族のような存在なんだ。オタビオとグスタボは、名声を得て以来ずっとボーデ家の愛好家なんだ。彼らが活動を始めた頃、彼らの叔父がブラジルのサンパウロで入手したエロ本のコピーを模倣していた。2人はその本をとても気に入っていたけど、ブラジルでは本が希少で入手困難だったから、叔父は彼らに本のコピーを作ってあげたんだ。90年代後半にはオス・ジェメオスだけでなく、生きた牛にボーデ・リザードを描いたバンクシーからもメールを受け取ったよ。だけど僕はどちらもあまり気にとめていなかったんだ。ファンからのリクエストや手紙はたくさん届くからね。それから何年も経ってから、彼らと会う機会があり、彼らは僕にヨーロッパの城を描いた本をプレゼントしてくれた。僕はそれまでにあんなものを見たことがなかったよ。魅力的で気まぐれで、彼ららしい独特の作品だった。僕たちはすぐに友人になり、彼らがより人気が出て有名になるにつれ、ボーデ・アートを集め始めた。彼らは今や世界で最も有名なボーデ・アートのコレクションの1つを所有しているんだ。僕たちはサンパウロにある彼らのスタジオを訪れ、街中に一連の壁画やキャラクターを描いた。しかし、これまでの僕たちの共同作業で最大の成果は、サンフランシスコのウォーフィールド劇場の裏側に描いた、オス・ジェメオスのキャラクターがチーチ・ウィザードの肩に乗っている7階建ての巨大な壁画だよ。僕たちは4日間でこの壁画を完成させたんだ。彼らのエネルギーを感じながら一緒に描くのはとても楽しかったから、もっと時間がかかればよかったのにと残念に思ったよ。でも僕たちは自分が描くものをよく知っているから、ほんの数秒のようにあっという間に終わってしまうんだ。僕たちは父へのトリビュートとして、オス・ジェメオスが父の女性的な肖像を描き、父の生み出したキャラクターたちが後光のように頭の周りを回転している作品を作りたいと構想しているんだ。僕たちはその絵にふさわしい建物を探しているところなんだ。僕たちが一緒に描く絵は、ニック・フランシス監督による父のドキュメンタリー映画『THE BOOK OF VAUGHN』の最終シーン用に撮影される予定で、それは現在5年の歳月をかけて制作されているんだ。

ボーデバースは、あなたの今後の展覧会において重要な部分を占めています。そこは、さまざまな物語、世界、キャラクター、設定で満たされた広大な宇宙です。例えば、『コバルト60』の黙示録的な世界は、チーチ・ウィザードがいる魔法のようなパンクファンタジーの森とは対照的です。もしボーデバースを説明しなければならないとしたら、どのように表現しますか?

人生が複雑になるにつれ、特別な時間はなかなか訪れなくなるように思えることがある。そして時には、自分自身が暗い場所にいると感じたり、メディアが僕たちをそこへ突き落とすこともあるんだ。そこは旅することのできる場所、安全な場所、あらゆる種類のキャラクターがそれぞれの人生を生きている場所がある。その人生は悲劇的であったり、詩的であったり、感動的であったり、魂を探し求めていたりする。彼らは僕たちであり、僕たちが訪れることができる別の場所で、僕たちの姿を反映している。いつでも、頭の中でボーデの宇宙を開いて訪れることができるんだ。そこは安全な場所であり、魔法のような場所がたくさんあり、セクシーで豊満な女の子たちが肌をあらわにした服を着て走り回り、トカゲたちは友達で賢明で慈悲深い、唯一無二のチーチ・ウィザードと会話をすることができる。彼はあなたをボーデバースに歓迎し、本当に素晴らしい場所を見せてくれるだろう。

【展覧会情報】

Mark Bode個展 「ENTER DA’BODEVERSE」
会期 : 2025年3月28日(金)〜 2025年4月6日(日)
時間:11:00 – 19:00
※月・火休廊
会場 : tHE GALLERY HARAJUKU
住所:東京都渋谷区神宮前3丁目20-21 ベルウッド原宿1階C
Instagram:@the_gallery_harajuku
 

MARK BODÉ

グラフィティ、コミックを代表するストリートアート界のパイオニアであるマーク・ボーデ。彼は70年代のニューヨークのカウンターカルチャー、 アンダーグラウンドコミック、ビートニク・ムーブメントの先駆者 である父、ヴォーン・ボーデの遺産を受け継いでいる。グラフィティ初の公式マスコットと言っても過言ではない、チーチ・ウィザードはグラフィティの歴史において最も象徴的なキャラクターであり、世界中のアーティストにとっての通過儀礼となっている。

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