Issue #74
Fall 2024
グラフィティから生まれ、グラフィックデザインやファッション、アートにある壁を打ち破りながら活動するアーティスト
Interview: Ryosei Homma
ストリートアートカルチャーを語る上で欠かすことのできないレジェンド、エリック・ヘイズ。彼は40年以上にわたって、グラフィティ、ファッション、グラフィックデザインの間にある壁を打ち破りながら活動してきたパイオニアであり、そしてオリジナルのグラフィティタグを使ったアパレルを立ち上げた最初のアーティストのひとりである。94年に日本に上陸して以来、エリック・ヘイズの作品とHAZEブランドは日本のストリートシーンに大きな影響を与え続けてきた。今回、HAZEブランド日本上陸30周年を記念して『RE·HAZE』と題したエキシビションが開催された。HAZEブランドの歴史と膨大なアーカイブが展示されるなか、エリック・ヘイズが近年手がけている新作の抽象画や具象画をはじめ、縁のあるアーティストやブランドとのコラボレーションの数々が展示された圧巻の空間となっていた。
—「HAZE」ブランドが30周年を迎えました。あなたは、グラフィティライターがアパレルブランドを手掛けたパイオニアだと言えますが、当時はどのような思いでスタートしたのでしょうか?
正式には、1987年にキース・ヘリング(Keith Haring)の「POP SHOP(ポップ・ショップ」で「HAZE」というブランドを作ったんだ。そこでコウモリの“BAT HAZE”ロゴのTシャツをリリースし、1991年に自分のアパレルカンパニーを立ち上げたんだ。電車に描いたグラフィティをブランドロゴにするという革新的なアイデアだと感じていたよ。それから30年経った今ではそういったことがスタンダードなアイデアになっている。その頃の私はファッション・ビジネスのことをよく理解していなかったけど、そこに挑戦しようと覚悟を決めたんだ。そして独学でプリントや刺繍、生産について学び、それを周りに伝えながら共に成長していった。アイデアは草の根的なもので、インディペンデントなアメリカンブランドを作ろうと考えていた。私はニューヨークの出身だけど当時はロサンゼルスに住んでいた。それはストリートウェアが始まりだした頃において特別な時期だったんだ。サンディエゴやロングビーチでは見本市が開かれていて、ストリートウェアはカリフォルニアに集中していた。ニューヨークからロサンゼルスに移ったばかりの頃、私はカリフォルニアのシーンにいる唯一のニューヨーカーで、ちょっとユニークな存在だったことを楽しんでいたよ。
—では、当時のカリフォルニアのシーンについてもう少し詳しく教えてください。グラフィティ出身の人が運営しているブランドやショップは他にありましたか?
XLARGEがその最初のショップだよ。卸売業者でもあったし、そして私にとってはファミリーブランドだった。私が最初に手がけたのは刺繍入りのスタンダードなCarharttのジャケットだったんだ。その頃はまだ流通に馴染みが無くてCarharttのジャケットを手に入れることができずにいたんだけど、XLARGEがCarharttのジャケットを代わりに仕入れてくれたんだ。6ダースもオーダーしてくれて、さらに刺繍を施してくれた。こういうシンプルな始まり方だったんだ。さらに私はXLARGEの店舗から3ブロック離れたロス・フェリズに住んでいたから、ビジネスパートナーというよりも家族同然だったね。
—現在は日本のB’s INTERNATIONALがXLARGE を展開していますが、彼らとの出会いや関係性について教えてください。
B’s INTERNATIONALとはXLARGEを通して知り合ったんだけど、しばらくビジネスを続けた後に一緒にレベルアップすることを決めたんだ。彼らが日本での「HAZE」の独占販売代理店となり最初のパートナーになった。そして私たちは日本でショップをオープンした。「HAZE」ブランドをより高みへと押し上げる上で、B’s INTERNATIONALは非常に重要な存在だったね。今回のPARCOでのショー「RE·HAZE」が、私たちの関係性や歴史がいかに強いかを示す輝かしい証になったと思うよ。皆川さん(B’s INTERNATIONAL会長)は自分のアート作品のコレクターになってくれて、制作に集中しているときに彼はアーティストとしての私をサポートしてくれた。2022年に東京で個展を開催したときに、来年は「HAZE」ブランドの30周年だと気付いたんだ。そしてこのショーを迎えることができた。B’s INTERNATIONALはやはり最高のパートナーだった。だからこれは「HAZE」ブランドとB’s INTERNATIONALの新しい章の始まりだと感じているんだ。
—「HAZE」ブランドは2000年代後半に休止していましたが、その理由を教えてください。
その当時は、長い間コンピューターでグラフィックデザインばかり作っていたから、有機的な方法に戻ることにしたんだ。目の前の小さな“箱”から脱出しなければならないと感じたからね。私がニューヨークに戻ると決めたとき、“Eric”にとってはある種の転換期だったんだ。“HAZE”にとってはそうではなかったけれどね。故郷への引っ越しは大きな決断で大仕事だったよ。XLARGEとのひとつのサイクルの終わりに言ったんだ、「少しの間休みたい」とね。故郷に戻って息を整え、ただブランドのことばかりを考えるのではなく、少し自分を大切にする時間が必要だった。ブランドを始めた最初の頃はすべてのプロダクトに自分の指紋がついていたけれど、3店舗を構え、卸業者やスタッフを抱えるようになるとすべてがコンピューター上で急ぎ足になり、本質が失われていくような気がしたんだ。だから2000年代の始めに、精神的な健康のために時間を取ることにしたんだ。
—今回の展示は「HAZE」ブランドの過去のグラフィックから現在のペインティングまで、あなたの歴史が詰まった構成になっていますね。
私がキャリアをスタートさせた頃は、グラフィックデザインとアート、ファッションが繋がっている感覚が一切なかった。A、B、Cのどれかを選ばなければいけないと感じていたんだ。私はある意味グラフィティと共にアートの世界に誕生した。自分の最初の経験、最初のスポーツはグラフィティを描くことだった。だがある時点で、自分の本来のスキルはグラフィックにあると理解し始めた。グラフィティがタイポグラフィやロゴへ変化することは、自分にとってはすごく自然な変化に思えたんだ。だから私はペインターではなく、グラフィックデザインに100%専念すると決め、ロゴデザインは私の情熱となった。それからレコードジャケットなどの音楽ビジネスにしばらく携わることになり、デザイナーとしてみんなのエッセンスをパッケージングするようになったんだ。そして10年、15年と他の人たちのためにアイデアをパッケージングしているうちに、自分のアイデンティティのために自分のスキルを活かす時期が来たと感じ始めた。だが依然として私の考えは、自分の絵を始めるためには、デザインやファッションをやめなければいけないのかもしれないという感覚だった。しかし、「絵を描くことに集中するんだ。画家として、アーティストとして、再び自分の声を見つけなければならないんだ」と強く感じていた。そして私は、ホセ・パルラ(José Parlá)、カウズ(KAWS)、フューチュラ(FUTURA)、リー・キュノネス(Lee Quinones)など同世代の他の画家たちからインスピレーションを受けて制作を始めたんだ。私もまたパーティーに参加したかったんだよ。そして5年前、2017年に頭の中で魔法のような瞬間を経験した。アート、ファッション、音楽、それらはすべて文化となっている。そして、それらを隔てる壁は私の頭の中だけに存在していて、万物は繋がっていると感じたんだ。それを自分に言い聞かせ、宇宙に語りかけたときに魔法が起こり始めた。過去の5年間は自分のスキル、目で見て頭で考えることなどすべてが噛み合い始め、快適な生活を送ることができるようになった。仕事はより簡単になり、情熱は増大して結果もよくなった。今はプロダクトにアートを施し、アートのためのプロダクトを作っている。これは私にとっては美しく新しい世界なんだ。
—エレイン・デ・クーニング(Elaine de Kooning)からインスピレーションを受けていると聞いたことがあります。彼女にはどんな影響を受けましたか?
とても面白いのは、エレイン・デ・クーニングは私が10歳の頃に描いていた抽象油絵のメンターだったんだ。でも翌年にグラフィティがやってきてすべてが塗り替えられてしまった。だから私は40年間、エレイン・デ・クーニングや彼女の作品について考えることはなかった。そして2020年、パンデミックが始まった頃にとある関係を通してエレイン・デ・クーニング財団を紹介されたんだ。何人かの人と一緒に喋っていたんだけど、その中で実際にエレインと付き合いがあったのは私だけだった。それから私は5ヶ月間、ひとりでニューヨークから1時間離れたその場所に行き深く思考を巡らせることにした。自分が10歳の頃はどんな人間だったのだろう? グラフィティが現れなかったらどうなっていただろうか? と。10歳だった頃の無邪気さを解き明かしたかった。いまの私がどんなに頑張ってもあの頃の自由さには戻れない。でも当時のスピリットと繋がり、そこからエレインの作品を新たな影響として受け入れることで別のレベルを与えてくれた。それに彼女は非常に珍しいタイプなんだ。抽象画家であり、肖像画家であり、具象画家で美術評論家でもあったからね。だから彼女は僕に、「大丈夫。肖像画でも抽象画でも何でも描いていいんだ」という指針を与えてくれたんだよ。
—では話は変わりますが、今回コラボレーションをしたブランドやアーティストについて教えてください。
今回はTaku Obataとコラボレーションしたよ。彼の作品を最初に見た瞬間に共感を覚えたからね。彼の作品は素晴らしく、また彼はB-BOYだから私の歴史をよく理解していて作品にも敬意を払ってくれている。このコラボレーションは、黒と白の特徴を持った作家が融合したものだね。さらに前回の展覧会ではHaroshiとコラボレーションしたんだけど、彼は日本の彫刻の神の一人だと思うよ。そしてTaku Obataとは陰と陽のような存在だと感じている。Haroshiはスケートボード出身で彼自身に特別でユニークなスタイルがあり、Taku Obataはヒップホップ出身で、彼自身にも大きく異なるユニークなスタイルがある。そして私は彼ら二人と異なる立場で共通点を持っていると思うんだ。その他にも裏原宿のレジェンドたちや伝説的な企業など、たくさんのブランドや人々のサポートやパートナーシップがある。この展示のオープンの2日前に、9時間かけてYAMAHAのバイクにペイントしたんだけど結果は大満足だよ。自分にとって一つの大きな夢が叶ったよ。
—あなたは多くの経験、出会い、自身の内面と向き合うことでスタイルの境界を超えてこのシーンに大きな成果を残してきましたが、これからの人生の目標ややりたいことなどはありますか?
すぐに答えられる2つのアンサーがあるよ。まだ具体的ではないけどこの展覧会は巡回する予定なんだ。日本国内やアジアかな。でも私の希望はこれをニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、そしてパリに持っていくことだね。それともう1つはちょうど本の執筆を終えたところなんだ。私の人生の物語を書いた。そしてこれから家に戻って取り組むのは画集だよ。その2冊セットの本になる予定なんだ。1冊は物語、1冊はこれまでの歴史の写真集。だから今年は私の人生の本と作品の本を仕上げることに集中するつもりだよ。究極の目標は、本の発売に合わせてこのショーをアメリカで開催することだね。