hiddenchampion

hi-dutch

木材や毛糸、流木や海辺で拾ったプラスチックなどを樹脂で閉じ込めることで、不思議と心が温まる作品を生み出すアーティスト

Interview: Hidenori Matsuoka

まるで波打ち際で拾った貝殻のような、見る者の心に静かに語りかける作品を生み出すアーティストhi-dutch(ハイダッチ)。木の温もりと樹脂の光沢、そしてカラフルな毛糸の織りなす世界。海や植物、そして生き物を愛する彼の作品は、見る者の心を穏やかにさせる、不思議な力を持っている。


――では最初にバックグラウンドを教えていただけますか。
千葉県の野田市出身です。16歳のときに先輩に初めてサーフィンに連れて行ってもらって、そこからサーフィンはずっとやっていますね。20代はサーフィンしてスケートして、スノーボードしてみたいな生活でした。当時地元にWater Spotっていうサーフショップがあって、そこに通っているうちに働くことになったんです。お店のビジュアルとかもやるようになって、メーカーの人がお店に来た時に、「この絵誰が描いたの?」って聞かれたりして、少しずつイラストの仕事が増えていったのが活動初期ですね。

—―やはりサーフィンがルーツにあるんですね。
そうですね。ただ、夏以外はサーフボードもそんなに売れなかったので、そのサーフショップが売上を作るためにたこ焼き屋さんを始めたんですよ。お店や大会のグラフィックを描いたりしながら、時間があるときはたこ焼き屋に借り出されるみたいな生活でしたね(笑)。そのお店の仕事の中にサーフボードの修理があって、僕が一番年下だったし器用だったから任されるようになったんです。サーフボードの修理は他ではあまりやってなかったからすごく需要があって、いろいろと頼まれるようになったので修理屋として独立することにしたんです。7店舗くらいから修理を受けていましたね。

――その修理で樹脂(レジン)を扱うようになったのですね。
そこからは、サーフボードの修理とグラフィック、あとはアートディレクションみたいなことを並行して生活してましたね。BEAMS Tの仕事はいっぱいやらせてもらいました。あとはパブリックイメージというところで本の企画をやったりイベントを企画したり。


――いろんな事をやっていたんですね。でもまだアーティストとして作品は発表していないですよね?
基本的に裏方として動いてました。ちょうどその頃にグリーンルーム・フェスティバルが始まったんですが、そこでも裏方として映像に関わることになったんです。スペースシャワーTV用の映像を撮ったりしていたんですが、出演するアーティストやミュージシャンも結構みんな友達だったので、インタビュアーがいないから「ヒダくんインタビューしてみてよ」と言われてやったり、ギャラリースペースに誰かの絵を飾る時も、僕が都内のイベントでインストールとかを経験していたので、「ヒダくんちょっとやってくれる?」みたいな感じで頼まれたりしてなんでもやっていましたね。そんな流れで、オーストラリアの作家がイベントの前々日くらいに一人抜けちゃって、「ヒダくん作品も作ってるよね? ちょっとそれ飾れる?」って言われて作品を展示することになって(笑)。それで普段自分が作っていた樹脂の作品をhi-dutch(ハイダッチ)って名前で飾ったら、『BLUE』って雑誌とかで取り上げられたりして、そっちの名前が知られるようになっていったんです。

――急にフィーチャーされたんですね(笑)。ヒダさんの作品ってロンハーマンなどサーフィンと繋がりのあるお店などによく飾られていますよね。
僕はサーフィンの映像も撮ってたんですよ。当時カリフォルニアのフリーサーファーと呼ばれる人たちがすごくかっこよくて、まだ無名な頃のタイラー・ウォーレンとかのDVDを作りたくてカリフォルニアに行って実際に撮っていたんです。その話を聞きつけたロンハーマンの方がその映像を使わせて欲しいと言ってきてくれたんです。ちょうど1号店ができるときなので15年くらい前ですね。いいですよって承諾したら、アートの方もちょっと相談したいんだけどって言われて。打ち合わせで企画書を見たらカリフォルニアのアーティストの絵を飾りたいみたいなことが書かれていて、その中のアーティスト候補に「hi-dutch」って書いてあったんです。「これ僕ですよ」って(笑)。

――すごい展開ですね。グリーンルームで見たんですかね?
たぶんそうだと思います。これカリフォルニアのアーティストじゃなくて僕なんですけどって言ったら「えっ?」てなってましたね(笑)。最初は本当に冗談だと思ったらしくて、「この作品とかあります?」って(笑)。ありますよ、だって一個も売れたことないですもんって(笑)。それでオープンする一週間くらい前かな、ロン・ハーマン本人が来てOK出してくれたみたいで実際に飾られて。そしたらテレビにも作品が出たりするほどすごい露出されて。いきなり「hi-dutch」として一気に作家の方になったっていう感じですね。

――サーフィンの映像を撮っていた話をもう少し詳しく教えてもらえますか? なぜ撮っていたんですか?
その頃はクルーでカリフォルニアに年に何回か行って、プロサーファーじゃないサーファーの映像を撮ってたんですよ。かっこいいなと思うサーファーをずっと追いかけて、DIYなDVDみたいなのを作ってたんです。僕は撮影以外にも、手書きで彼らの名前を書いたり、表紙などのグラフィックを作ったりしていました。これからはこういうサーファーが絶対にかっこいいけど、彼らにはスポンサーも付いてないし仕事にはなっていなかった。だから、ギャラは払えないけど、DVDを3000本作って50本ずつ撮影させてもらったサーファー達にあげていました。これを配ってスポンサーを見つけなよみたいな感じでしたね。それでタイラー・ウォーレンとかもBILLABONGがスポンサーに付いたりして。タイラーとかはその頃から交流があるんですよ。彼が日本に初めて来た時も同行したし、古い友達ですね。

――では、作品のことを教えて欲しいのですが、そもそも樹脂の作品はどのように生まれたのですか?
ずっと自分にしかできない表現をしたいと思っていたんです。周りには絵の人や写真の人が何人もいたので、もっと自分にしかできないことってなんだろうって思った時に、もともとサーフボードの修理をしていたので、「あ、俺、樹脂使えるんだ」と思い、それで作品を作ろうと思ったんです。最初は色を塗ったものを樹脂でコーティングしたりとかいろいろと模索していました。その時期に誰かの本を読んだら、なにかに悩んだら自分の身近なものを見つめ直そうとか、断捨離しようみたいなことが書いてあって。それでとりあえず家の片付けを始めたんです。するとその時に毛糸が入ったビニール袋を見つけたんです。それは、ある時期うちの奥さんが編み物にドハマりした事があって、その時に余った毛糸をビニール袋に入れて保管していたものだったんです。それを見て、毛糸って樹脂を吸うし面白いかもと閃きました。それがちょうど2003年ぐらいです。奥さんが編み物をやってなかったら多分気づかなかったと思うんですよね。

――そういうきっかけがあったのですね。その後どのように展示などをしていったのですか?
周りに花井(祐介)くんとか絵を描いている人はいるし、サーフィンの写真を撮っている人もいる。でも僕のはどっちでもなくて変わってるから、湘南とか鎌倉でグループショーやイベントがあると絶対に声が掛かってたんですよ。でも作品を作り出してから6年間は一個も売れたことがなかったですね。ただの賑やかし的な感じで呼ばれていたんです。売れないから、そのまま友達のお店とかにずっと飾りっぱなしにしてたんですよね。そしたらグリーンルームやロンハーマンで知られるようになった途端に「これじゃん!」みたいになって(笑)。

―6年間売れずによく続けましたね。では言える範囲で作り方を教えてもらえますか?
木の土台があって、木をくり抜いて、そこに毛糸を貼って樹脂をかけます。あとはひたすらハケ塗りですね。口の中とか目のところもハケで塗るときに一緒に一回なぞって、それからヤスリで削ってもう一回ハケで塗って、っていうのを20回ぐらいやります。そうすると表面がツヤがある感じになってくるんで、最後にバフ仕上げをするっていう感じですね。ハケ塗りは一日に一回しかできないので、単純に20日以上かかりますね。

――その工程はサーフボードの修理をしていないと絶対にたどり着かない発想ですよね。制作の拠点である千葉県野田市は、埼玉県に近い内陸に位置していますが、サーフィンをするために海の近くに移ろうとは思わなかったのですか?
僕はどちらかというと子供の頃から多動性気味のタイプなんです。海外やいろんなところに行くんですが、やっぱり落ち着くのは地元なんですよね。集中できるんです。社交的に見られることも多いんですが、実は内気な性分もあって、もし新たな土地に住むとなると、自分がその土地に落ち着けるようになるのにすごく時間がかかると思います。制作も誰かがいると気になってできないんですよ。なので僕が移動するのは展示や発表をする時で、制作する時間はずっと地元にいますね。だから僕の制作風景を見たことある人はほとんどいないし、見られながら何かをやるのって苦手なんですよ。

――作品を作ってる姿はほとんど誰も知らないんですか?
そうですね。いままで制作中の撮影とかはずっと断っていました。ただ、この間初めてロンドンで個展をやったんですが、その時に制作風景の映像を撮って欲しいと依頼されて、「うわ、マジかよ」と思いましたね(笑)。坂本くんという、アーティストのドキュメンタリーを撮っている人がいて、彼からもずっと制作風景を撮りたいと言われていたので、彼しかいないなと思ってお願いすることにしたんです。一ヶ月くらい何度も撮影に来てくれて、そのときに初めて制作風景を公開しましたね。インスタグラムにも上げているので見てみてください。

――海で拾ったビーチプラスチックゴミを用いた作品について聞きたいのですが、どういうコンセプトか教えてください。
最初は流木を拾って木に戻すアールツリーという作品を作っていました。それを日本のサーフライダーファウンデーションの人がすごく気に入ってくれて、これからはビーチプラスチックが問題になってきてるから、そういうことを一緒にできたらいいねって言ってくれたんです。確かに昔はビーチには流木のほうが多かったけど、今はもうプラスチックだらけなので、なにかに還元できないかなと思って作品にしようと思いました。子供とか言葉が分からない人にも伝わりやすい方がメッセージとしてはいいかなと思い、魚の形をした作品にしました。そしたらやっぱり世界中の人たちに伝わるし、子供も反応してくれるしすごく反響があったんです。それでこの作品シリーズを応援してくれる人がいるのならと、このシリーズだけ売上の10%をサーフライダーファウンデーションに寄付しています。もともと僕がサーフィンが好きだからやっていることなので、この作品シリーズはずっと一生かけてやっていきたいなと思ってますね。

――素敵なシリーズですね。ところで話は変わりますが、いま取材させていただいているこの小屋はどういうスペースなんですか?
ここは造園屋をやっている友達が森の中に作ってくれた小屋でYFL(Yokokawa Forest Lab)という場所です。僕の作品の保管場所でもあり、作品を発表する前に飾ってみたり、撮影をする場所として使っています。あとは、アイデアを膨らませたり、音楽を聴いたりアートブックを眺めたり、友達を呼べる秘密基地みたいな感じですね。海外から来た友人もここに来たいってメッセージをもらったりします。すごくリラックスできる贅沢なスペースです。

――では最後に、2019年のGALLERY TARGETでの個展以来、5年ぶりとなる個展を今年の12月にMIYASHITA PARKのSAIで開催するそうですが、どのような内容になりそうですか?
僕の作品は、オリジナリティが欲しいという初期衝動から生まれたものなので、この手法を生み出した時点である意味完成しているんです。そういう意味では毎回特別なテーマは無く、自分が好きな身近なモチーフを選んで作っています。たとえば猫の作品を作って、そこから空想した関連するものなどですね。あとは先ほど話した木の作品と魚の作品は作ろうと思っています。それとコラボレーションの作品も発表します。ジェリー鵜飼さんとの作品や、T9Gさんとの作品など、日本で未発表のものなども飾る予定です。60点ほど展示する予定なので楽しみにしていてください。

hi-dutchのプロフィール

hi-dutch(ハイダッチ) ハイダッチは1972年生まれ。サーフボードのリペア技術を生かし、自身と関わるの深い海をモチーフとした作品を制作。木材に毛糸を貼りつけ、樹脂でコーティングして研磨する手法を用いている。波を円形で表現した代表的な作品から、近年は海以外に人や動物、記号などをかたどった作品も発表している。これまでの個展に、「“yesterday . today . tomorrow” by hi-dutch」(GALLERY TARGET、東京、2019)、「痕跡」(minorityrev hirao、福岡、2014)など。日本をはじめ、アメリカや香港、台湾、オーストラリアでのグループ展に参加し、作品発表だけでなく店内装飾なども手がけている。また、チャリティー・オークションやサーフライダーファンデーションに寄付し、様々な立場で制作に関わる活動を続けている。

Artist