Interview with
SASU

「自分探し」から生まれた、
唯一無二のシンメトリーな世界

パートナーであるKAMIとのアーティストユニットHITOTZUKIでは、ポスト・グラフィティ/ストリートアートの旗手として世界中に壁画を描き、多くの企業コラボレーションなど幅広く活躍しているアーティストSASU。長年に渡り第一線で活躍を続けてきたSASUが、ここにきて21年振りとなるソロでの個展「Self.help」を開催するに至ったという。ここでは改めて、彼女自身のルーツや創作活動の軌跡を振り返りながら、世界を魅了するシンメトリー作品が生まれた起源や、活動の根底にある内に秘めた想いを聞いた。

Interview:
Hidenori Matsuoka
Top:
Shirasaki Ocean Park, Wakayama, 2024
Photo:
Dohaku Creative
All Artworks:
©︎SASU ©︎HITOTZUKI
Edmonton, Canada, 1997
Apple of Wisdom (*fig. 2)
Cameron, North Carolina, USA, 2000
Kumosha (fig. 3)
Cameron, North Carolina, USA, 2000

「Apple of Wisdom」が、David Ellisのスタジオで一人残って描き、Barnstormersとして訪れたノースカロライナのBARN(納屋)に張り付けたという作品。左の作品が、その時に初めて描いた「Kumosha(クモーシャ)」。Barnstormersとは、David Ellisを中心に、KAMI、ROSTARR、ESPO、Mike Ming、KR、WESTONE、Ryan McGinness、JESTなど、多くのアーティストが参加していたアーティスト・コレクティブのこと。ペイントする風景をカメラでタイム・ラプス撮影をするなど、ポスト・グラフィティの表現を実験的に繰り広げ、後に続く世界のストリートシーンに大きな影響を与えた。

バイク屋と大自然の中で育った幼少期

──これまでに何度か取材をさせていただいていますが、今回はソロでの個展ということで、改めて生い立ちなどから伺ってもいいですか?

私の出身は八王子で、祖父母が農家をやっていたのですが、父親がその敷地内でバイク屋を始めました。母は庭で様々な花を育てていたので、大自然の中に常にメカがあるという、ちょっと変わった環境で育ちました。遊び場がバイク屋の作業場の前で、タイヤをテーブルにしておままごとをしたりとか、前を流れる川でザリガニを捕まえたり、裏の山で探検したり。自然には恵まれていましたね。

──とても楽しそうな環境ですね。

ただ、父親が厳しかったのでコンプレックスだらけだったんですよ。父はおもちゃを全然買ってくれない人で、「手作りがいいだろ」みたいな、そういうタイプだったんです。ファミコンも買ってもらえないし、うちはキリスト教じゃないから、という理由でクリスマスプレゼントもなかったりして。年子の三人兄弟で兄と弟の真ん中で育ったのですが、いつも自分たちで何かを作って遊んでいましたね。海に行っても、みんなはハイビスカス柄のかわいい浮き輪とかを持ってるじゃないですか。でもうちは真っ黒なタイヤのチューブなんですよ(笑)。

──さすがにタイヤのチューブは変わってますね(笑)。

今思うとちょっと面白いとは思いますけどね(笑)。皆んなが持ってる流行りのものが欲しかったんですよ。中学生の一時期、家が手狭になったからっていう理由で、裏にある祖父母のいる本家に一緒に住むことになったんです

Pom-P, 1989 (*fig. 1)

サンリオ『いちご新聞』との出会い
ZINE制作から始まった創作活動

――子供の頃から絵を描いたり、創作することは好きでしたか?

そんなコンプレックスのある生活の中で、サンリオの『いちご新聞』を初めて読んだときに心の拠り所になったんです。冒頭にいちごの王様からのメッセージがあり、そこには複雑な幼少期の気持ちに寄り添うようなことが書いてありました。さらに『いちご新聞』にはオランダなど、海外の街並みなどの写真や情報も載っていて、キャラクターもフィリックスとかもいて、その頃はインターネットもなかったから、海外の情報がすごく刺激的でしたね。キティちゃんのイメージが強いと思うんですけど、マニアックなキャラクターが沢山いたんですよね。作者も紹介されていて、どういう想いでそのキャラクターが作られているのかも書かれていたり。何よりも、私が夢中になったのが読者同士の繋がりでしたね。『いちご新聞』には掲示板というものがあって、今でいうSNSの役割をしていたページなんですが、“文通しませんか?”とか、その掲示板に投稿して、他府県のお友達と繋がったり、同じ趣味の子を集めてクラブみたいなものを作って会員を募集したりできるんですよ。私もそこでクラブを作って、会員になってくれた人に家のコピー機で作ったZINEのような『Pom-P(※fig. 1)』という会報誌を送ったりしていました。会費は切手で送り合ったりしていましたね。それを小学校6年生の頃から2年くらいやっていました。それが絵を意識的に描いた最初の経験ですね。その時に作ったZINEの一部を、今回の個展で展示しようと思っているんです。

──当時作っていたZINEをまだ持っているんですね。

高校生ぐらいの時に、急に恥ずかしくなってほとんど捨ててしまったんですが、気に入っていたのか、少しだけ取ってありました。その時代を大人になってから辿ってみると、Keith HaringやAndy Warhol、Roy Lichtensteinなどのポップアートが日本で流行していたんですよね、多分その流れで、サンリオ以外にもオサムグッズとかお菓子のきどりっことか、コミックアートのようなビジュアルをよく目にしていたんですよね。中学では少女漫画が流行っていて、漫画を描くのにスクリーントーンっていうドット模様のシートを使ったりして、同人誌を作ったりするんですけど、それをキャラクターやデザインに使ってZINEを作るっていうのが、いちご新聞の読者層の中で流行っていたんです。スクリーントーンを使うのが大人っぽく感じて、色々なロゴを模写してみたり、憧れて使ってました(笑)。

――その後、高校生の頃などはどういう学生生活を送っていたのでしょうか?

うちは親の方針で塾も禁止、勉強もしなくていい、だったんです。テストの前の夜に勉強していると父親が電気を消しに来るんですよ(笑)。だから大学進学とかも考えたことなかったんです。とにかく他の国の文化に興味があったので、旅行の添乗員になろうと思って、高校を卒業してからは旅行の専門学校に進みました。冬休みとかはペンションに住み込みでスキー場でバイトしたり、資格を取って、ツアーの添乗員のアルバイトをしてスノーボードばかりしていました。その後、理由はよく覚えていないんですが、突然お金を貯めて自分でマウンテンバイクを買ったんです。それまでスカートしか履かなかったのに、髪もバッサリ切って。多分このままじゃダメだみたいな、若い頃の自分探しみたいな感じだったと思います。それで縁あって、緑山スタジオでやっていたBMXのショートトラックレースに通うようになったんです。父のハイエースに自転車を積んで、2年ぐらいかな? 続けていたんですが、夏のスキー場でダウンヒルのレースをやったときに鎖骨を折ってしまって。これ以上先に進むためにはトレーナーを付けたりもっと本格的にトレーニングしないとダメかもなって思って、自分は怖がりだし、あまり向いていないんじゃないかなと思いましたね。

──マウンテンバイクやBMXに乗っていたとは知りませんでした。

あまり言ってないですからね(笑)。女子ライダーも少ない時代だったので、スポーツドリンクの雑誌広告にも出たことがあるんですよ(笑)。後から思うと、子供の頃に父親にモトクロスのレースにしょっちゅう連れて行ってもらっていたんですよね。ディズニーランドには行ったことないけどモトクロスのレースには行ってた。でもそんなのなんの自慢にもならないから封印してたんですけど、潜在意識にあったのかもしれないですね。私がやっていたのなんて、ほんとに短い間だったんですけど、嬉しいことに、その当時知り合ったライダーの人達とは今になって繋がることも多くて、壁画を見に来てくれたりするんです。

マウンテンバイクの後は何を始めたのでしょうか?

その後は一応MTBを持って、友達が住んでいたカナダのウィスラーに行ったんですが、結局スノーボード三昧の生活を送るようになりました。寿司レストランで働いたり英語を勉強したりして充実した生活を送ってたのですが、1年ちょっと過ぎた頃に、突然弟から電話が来て、母親が末期ガンで余命3ヶ月と言われたから帰ってきてと連絡があったんです。その瞬間に、それまでやってきたことが全て崩れ落ちて、日本に戻って母の代わりに家事をする生活が始まりました。急にそういうことが起きると気持ちが飛んじゃうというか、しばらくボーっとしていましたね。

KAMIとの出会い
そしてHITOTZUKIへ

──それまでアグレッシブに活動していた生活が急に一変したんですね。

父は家事を一切したことがなかったし、祖母も同居していたので、私は一生ここで家事だけをやっていかなきゃいけないんだって落ち込みましたね。ただ、このままじゃダメだと思って、近所の図書館に行ってヨガやセラピー、心理学関係の本を読み漁りました。そして、小さい頃にやっていた好きなことをやろうと、ZINE活動の時にやっていたような詩や絵を描き始めたんです。そのうち、親戚のおばさんがこのままだとダメになるからもう一回カナダに行ってくればって送り出してくれたんです。そしてカナダ人の友達の実家にホームステイさせてもらい、英語の学校に行ったりBMXのレースに出てみたりしていたんです。その友達の家にはもう一人日本人の男の子がホームステイしていて、彼らがグラフィティをやっていたんですよ。私がZINEにイラストを書いてるのを見せたら、外にも描いたほうがいいよって誘ってくれて、それで3人でスプレーを買いに行って、グラフィティショップにノズルを買いに行ったりして色々と教わり、自分のタグを作ったり、スケートパークに描きに行ったりしたんです。

──いよいよ外に絵を描き出したのですね。

帰国してから、当時渋谷のSTORMYとかに置いてあった『AWAマガジン』っていうフリーペーパーがあって、そこに私も絵とかポエムを描いて投稿するようになりました。そこにはまだ出会う前のKAMIくんやダイコンくん(DISKAH)率いるOWNの皆んなが描いたりしていましたね、98年くらいかな。同時期に六本木で「Flow Of Harmony」というイベントがあり、DJとサウンドシステムがあるラウンジ空間で、みんなが持ち寄ったアートを展示するDIYイベントを、ダブセンスマニアのラス・タカシくんが中心になって開催していたんです。AWAマガジンの参加者も皆んなそこで展示していて、私も「センソメトロ」という「愛の意識を測る装置」みたいな作品をペーパークラフトで作って展示していましたね(笑)。そのラス・タカシくんは占星術に詳しくて、色々教えてもらって仲良くなって、後日ハングアウトする約束をしたんですが、その当日に、「やべー、やっちゃった。今日KAMIっていう友達がニューヨークに行くから成田空港に送る約束してたんだ」って言い出して、「一緒に行ってくれない?」って言われて。彼の投稿を見て知っていたのでOKして、急遽私も一緒に見送ることになったんです。私も偶然その数日後にカナダに残していた荷物を取りに行く予定だったんですけど、たまたまニューヨークから帰ってくるKAMIくんと私の帰国日が一緒だったんですよ。するとラス・タカシくんが「じゃあ2人ともまた成田まで迎えに来てあげるよ」って言ってくれて、帰国日に空港で待ち合わせするためにKAMIくんと連絡先を交換したんです。それが出会いですね。

──すごい偶発的な出会いですね。引き寄せられたとも考えられますが。

それが、帰国日に再会したんですが、お互いに全然素な感じでした。その日のKAMIくんの頭の中はもう完全にニューヨークになっていましたね(笑)。ラス・タカシくんがせっかくだから帰りがけに観覧車があるから寄ろうよって提案してくれたんだけど、KAMIくんは早く帰って自分のアートワークをやりたいみたいな感じで(笑)。それでOWNハウスに送っていったんです。OWNハウスはスケーターたちが共同生活している一軒家だったんですが、OWNのスケーターたちって私が今までに思っていたスケーターのイメージと違ったんですよね、愛とか思いやりだとか、日頃の行いが滑りに繋がるみたいな話をしていて、不思議なスピリチュアルな感じがしましたね。そしてKAMIくんに私が作っていたZINEとか、カナダで描いたグラフィティの写真を見せたら、「一緒に描こう」っていう話になって、最初はステッカーに描いたりしていました。

Un-chan
Nakameguro, Tokyo, 2003

──ついに共同作業が始まったのですね。それが何歳のときですか?

1999年なので25歳の年ですね。それからの展開は早くて、KAMIくんがニューヨークのDavid Ellisと、ノースカロライナのタバコ納屋に描くBarnstormers(バーンストーマーズ)っていうプロジェクトをやるから一緒に行こうと声かけてくれて。だけどニューヨークに着くとみんなはブルックリンに壁があるから描きに行くって出かけて行ってしまい、私はDavidに、「この板に何か描いてていいよ」って言われて1人で彼のスタジオで待つことになったんです。ニューヨークには、Doze GreenとかJosé Parláとかすでに自分のスタイルが出来上がってる人たちが沢山いたし、自分らしい表現をするためには何を描けばいいんだろうって追い詰められていましたね。私はみんなとは初対面だったから、認めてもらえなければ私には壁はないんだろうなって思っていました。それでスタジオで一人で考えて、まずは好きな形を描こうとリンゴのモチーフを四方向に配置して、いわゆる曼荼羅のように描いたんです(※fig. 2)。みんなが帰ってきてその絵を見るなりDavidが「超いいじゃん」ってポジティブな反応をくれて。ノースカロライナに持っていってバーン(納屋)に貼ろうって言ってくれたんです。

“SAKURAGICHO ON THE WALL”, Yokohama, 2007

――ついに共同作業が始まったのですね。それが何歳のときですか?

“SAKURAGICHO ON THE WALL”, Yokohama, 2007

【展覧会情報】

SASU個展 「Self.help」

会期 :
2024年12月20日(金)〜 2025年2月8日(土)
時間 :
13:00 – 19:00
※日・月・火・祝日は休廊となりますのでご注意ください。
※冬季休廊 : 2024年12月29日(金)〜 2025年1月7日(火)
会場 :
SNOW Contemporary
住所 :
〒106-0031 東京都港区西麻布2丁目13−12 早野ビル 404
URL :
http://snowcontemporary.com
Instagram :
@snow_contemporary

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