Interview with
Kenji Sakai

幾何学を用いて
社会と感情の関係を探求する

感情に形を与えたというシルクスクリーン作品や、人を象徴する形として三角形を用いた油絵。さらには半蔵門にあった「ANAGRA」の跡地にてスタートした「MATTER」で行う展示のキュレーションなど、多様な視点でアート活動を展開している酒井建治。現在はロンドンに渡り、自身の作品のコンセプトをさらに追求しているという彼に、バックグラウンドや作品について話を聞いた。

Interview:
Ryosei Homma
Edit:
Toshihito Hiroshima
Photo_ Masato Yamada

──まず始めにバックグラウンドについて教えてください。

出身は京都です。僕には兄弟が4人いて、姉たちが画塾に行っていたこともあり、絵が身近にある環境で育ちました。自然と絵を描くようになり、中学校では落書きみたいな感じから徐々に作品といえるものが出来上がりはじめました。当時は細密画を描いていたのですが、美大出身の姉の影響もあり、高校2年生から画塾に通い始め、京都の美大で版画を専攻しました。

──大学で版画を専攻するようになったきっかけを教えてください。

専攻を決める前にいろんな美術館に行ったりしたのですが、ちょうど版画の展示が多く行われていたんです。ただ、見た作品がモノクロだったため、自分には「渋すぎる」と感じていたところ、画塾の先生に「東京で面白い展示があるから行ってみなよ」と勧められ初めて東京に行き、アンディ・ウォーホルの展示を観たんです。その展示をきっかけに、地元に戻る頃には自分も版画をやりたいと思うようになっていましたね。

──シルクスクリーンのどういうところに惹かれましたか? またその頃はどういう作品を作っていたのでしょうか。

版画技法の中でも特に自由度の高さに惹かれました。刷りのスピードやインクの量など、様々な可能性がある技法だと感じたんです。当時は、言葉にできない感情や表に出せない感情に形を与え、それをデジタル上で分解と再構築を繰り返し、元の感情が消えるまで変化させました。そして、無垢の状態になった時にシルクスクリーンでプリントし、フラットな状態で作品として感情を浄化するように制作していました。

──その後、進路はどうしましたか?

大学卒業後は、社会経験を積みたいという気持ちで就職をしたのですが、実際に就職してみると、裏方に周るよりも自分の作品を発表したいという気持ちが芽生えてきました。その感情が抑えきれなくなり、仕事を辞めて東京に行き、武蔵野美術大学の大学院に入学しました。しかしちょうどコロナ禍と重なり講義はオンラインでした。その後、大学院で『ALL IS WELL EDITION 100』というタイトルのアートブックをシルクスクリーンで制作したのですが、キャンパスで作業できなかった期間を取り戻すかのように、朝8時から夜10時までフルで作業し、合計で8700回も印刷を行いました。この作品は、もう一度やりたいとは思わないくらい大変でしたね(笑)。

Photo_ Moe Tsubakino

──初めて自身で行った個展について教えてください。

初めての個展は、以前半蔵門にあった「ANAGRA」での展示です。ANAGRAに初めて訪れた際、制作している作品の話をしたところ、個展を開催させてもらえることになったんです。この場所ではいろんなアーティストと出会い、僕もずっと在廊していたので多くの人と話し、終電まで語り合ったりしました。

──自身がディレクションを務める「MATTER」について教えてください。

「MATTER」は、「ANAGRA」の跡地を使ったギャラリー兼イベントスペースとして始めましたが、現在は僕がロンドンにいることもあり半蔵門の場所は閉め、場所を持たずに展示の企画などを行っています。ここではアーティストが様々な実験を行えるよう、多様な展示を企画してきました。「MATTER」を始めたきっかけは、僕が初めて個展を行なったタイミングで、当時のANAGRAのオーナーであるAI.Uさんから「ここを自由に使っていいよ」と声をかけていただいたことです。当時はまだ大学院生でしたが、卒業してすぐにこのスペースの運営を始め、MATTERでの展示を行いながら自分の作品制作も並行して行っていました。今後の展開としては、様々な人が「雨宿り」ができる存在になれればいいなという思いがあります。それぞれの学校や職場、家族など、自分のいるコミュニティから一瞬離れたいと思った時に、安心して過ごせる場所を目指したいですね。そのために、ある意味ミッションとして、その時々に最も適した形に変化し続ける存在であることを意識しています。

──描いている作品のテーマについて教えてください。

近作では、「個」と「全体」の関係性をテーマにした「White Cliff」というシリーズを制作しています。三角形の集合体として構成されたこのシリーズは、密集することでまるで崖のような強固な存在や関係性を形成します。しかし、そのうちの一つが崩れると全体が一気に崩壊してしまうような、不安定さとアンバランスな美しさも同時に描いています。このシリーズは、ちょうどコロナ禍に東京で過ごした経験や、SNS上での人との距離感について考えていたことがインスピレーションの源になっています。ロンドンでこの作品を展示し、さまざまな人と対話を重ねる中で、「個」という概念の捉え方が文化的背景によって大きく異なることに気づかされました。言葉一つとっても、その翻訳が行われた時代の社会制度や宗教観、文化的な価値観によって意味が変容していることがあり、それが現在の社会で未だに完全には咀嚼されていない曖昧さや不安定さを生んでいるように思います。私は、そうした不安定さや言葉の曖昧さのように、関係性の構造や個の在り方などをいろんな視点から探っていけたらなと思います。

Installation view, “Like seeing this world for the first time” exhibition at OIL, Tokyo, 2024
Photo_ Moe Tsubakino

──徐々にトライアングルの集合体から変化していくような印象を受けますが、詳しく教えていただけますか?

「個」と「全体」の関係性というテーマには変わりはないんですが、より構造的に捉えて描くシリーズとして「Buliding Blocks」という作品も制作しています。昔から遊んでいた積み木と、都市で繰り返されるスクラップ・アンド・ビルドから着想を経て始めたシリーズで、構成はどこか図面のようでもあり、いずれ立体として展開していくことも想定しています。個と全体、構築と解体、自然と都市、硬と軟、生と死。そうした対極的な構造の間に生まれる緊張感や気配、そして、それらをつなぐ関係性。私はその「間」にこそ普遍的な何かが宿るのではないかと感じており、それを視覚化することで、不安定さの中に潜む美や心地よさを見つけ出そうとしています。そうした行為が、作品を世に残す意味にもつながっていけばと願っています。私は幼少期から死ぬことに対して強い恐怖を抱いてきました。その恐怖から逃れるように、絵を描き始めたのが創作の原点です。私の中では「死後の空間」と「海の中」が重なっており、作品の中にも時折そのような空間の要素が現れることがあります。絵の中には、爪のような攻撃的なモチーフが現れることもありますが、そこに痛みの表現はありません。むしろ、死を単なる恐怖としてではなく、私を動かすエネルギーとして捉えようとしています。そうやって作品を通して私と世界との関わり方を再認識していけたらなと思います。

Installation view, “Like seeing this world for the first time” exhibition at Auto Vision, Yamanashi, 2024
Photo_ Ryo Yoshiya

──現在はイギリスにいますが、経緯などを教えてください。

昨年の12月からロンドンで生活しています。様々な環境に身を置いて制作することで自身の中にある変わらないものの確認と、アーティストとしての強度を高めることがロンドンに来た理由ですね。周辺国のレジデンスや展示にも興味があり、オープンコールに積極的に応募し、必然的に生まれるポートフォリオやCVを何度も見直す時間が結果的に自分を見直すことにつながっています。また、色んな文化背景の人たちといることで、日本にいるときよりもパーソナルな部分や日本人としてのバックグラウンドを強く意識するようになりました。今後さらにリサーチと制作、展示を通して自身の作品と向き合っていきたいと思います。

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