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MHAK

独自のモコモコした柄を世に生み出し、場所や雰囲気に応じて自在に操り、さまざまな空間へ落とし込む“MHAK”。

Interview: Hidenori Matsuoka

これまでに数々の現場を取材させてもらってきたアーティスト/ペインターのMHAK(マーク)。独自のモコモコした柄を世に生み出し、場所や雰囲気に応じて自在に操り、さまざまな空間を息遣いが感じられる場所へと変化させてきた。多岐にわたるコラボレーションや、ギャラリーでの個展、日本各地での壁画にいたるまで精力的に活動を続けるMHAKに、約10年前のインタビューを踏まえ、作品の変化や現在の想いなどを改めて聞いた。


—これまでに取材は多くさせてもらっていますが、こうして改まってインタビューするのは約10年ぶりです。10年前の作品と見比べると、いわゆる“MHAK柄”は変化していますよね。丸いモコモコした形状のなかに、流れるラインのようなものが生まれています。まず、変化した経緯について教えてください。

ちょうど10年前の2013年頃、「SETSUZOKU」というイベントを主催する西堀さんから、僕とyoshi47の2人にライブペイントを頼まれたことがきっかけです。当時、クラブなどでのライブペイントの主流は、画力重視かパフォーマンス重視のどちらかという状況が出来上がっていて、そのフォーマットに自分はハマっていないなと思ってライブペイントをすることから離れていたんです。だから本当に“変わったこと”で良ければやりますと返答したんですが、好きなようにやっていいよということで引き受けました。そこで僕とyoshi47の2人で一緒にやるためのユニット名を考えて生まれたのが「81 BASTARDS」なんですよ。お互い1981年生まれだし日本の国番号は“81”、そして自分たちの世代でなにか新しいことをやりたいという気持ちも強かったのでその数字を使いました。ライブペイントの場では、僕らのことを知っているお客さんは、僕らがどういう絵を描くか想像できるし、そういうものを期待するじゃないですか。だけどそういうマンネリ化が嫌だった僕らは、普段描いているものは描かないというルールで本番に臨みました。自分たちの武器を消し去って大恥をかく前提です。お客さんの期待を裏切って、「あいつらなに描いてるの?」って思われた方が面白いと思ったんです。

—その活動のなかで作風が変化していったのですね。

yoshi47とライブペイントをやった以降、せっかくやるなら何か新しい挑戦をしていかなきゃダメだよねっていうことをずっと2人で話していました。“何かしらの変化が必要”っていう意識が強かったんです。そこから、当時丸かった柄を引き裂くように変化させていきました。裂け目が入って柄が割れたという感じです。それまでの自分の柄はラインの流れを綺麗にしたいと意識はしているけど、どうしてもどこか綺麗じゃなかったんです。この出っ張っている部分がうざいな、とか。その後、柄が半分に割れた瞬間にそう言った悩みが少し解決できたと感じたんです。前よりも綺麗なラインが見えるようになったし、柄が割れたことによって、誰かの作品の後ろに回ったり、手前に来たりすることもできる。柄の役割が、メインにもなれるしサブにも回れる。あくまでも模様として背景で終わることもできる。以前の柄はちょっと主張が強かったんですよね。メインの本筋以外になり得なかったから。

—それは、10年前のインタビューでも話していた、“空間との調和”というコンセプトをより具現化しやすくなったということですよね。当時も、部屋に入ったときの目線の流れが、作品があることによって違和感なく流れるように描きたいと話していました。

以前よりも空間を自由に使えて、馴染ませることが出来るようになったと感じています。そして、壁画や作品制作においても作業効率が格段に良くなったんですよ。変化以前は1週間ほど掛かっていた壁画も2日くらいで描けるようになりました。それも作風の進化によって得れた大きなポイントですね。

—81 BASTARDSについても教えてください。現在は他にもメンバーがいますよね? 彼らとはどうやって出会ったのですか?
yoshi47と2人で始めた81 BASTARDSを面白いと思ってくれていたInoue Junから俺も一緒にやりたいと声をもらい、次がナオキくん(SAND NAOKI)。彼は当時yoshi47と仲が良くて彼もやりたいと言ってるよと話をもらいました。彼の事も知っていたし作品のセンスも好きだったのでこちらとしても是非と。5人目のタトゥーアーティストのOTは、ショウヘイ君(SHOHEI TAKASAKI)がアメリカから一時帰国した時の食事会でたまたま居合わせたんですよ。彼らは同じ中学の先輩後輩だったんです。OTも同い年で凄くひょうきんだったし話も面白くて一気に仲良くなりました。彼は彫り師だけど壁画が描きたいって言っていて、だったら一緒にやろうよって僕が誘って参加してくれることになりました。その後に海外勢としてLAのヨースケ(Yoskay Yamamoto)やメルボルンのデイビッド(Ghost Patrol)が加わります。彼らももちろん同い年。フォトグラファーのリオメン(Rio Yamamoto)と映像作家のサトシくん(3104)は、僕らが大恥をかいた最初のライブペイントの時から写真を撮ってくれているんです。サトシくんはそもそも映像をやる気は全くなかったんですが、当時サトシ君が使っていたカメラが映像も撮れるものだったので無理やり撮ってもらったのが始まりで、それから今日に至るまで僕らの映像を作ってくれています。そして最後がトラックメーカーのノブオ(Novsemilong)。彼が毎回映像用にトラックを提供してくれてます。そんな81 BASTARDSも結成してから早10年です。本当にいろんなことがありましたが、みんなで沢山のプロジェクトを経験してきた戦友であり家族です。

—MHAKは自分の世代の役割として、絵描きという職業を社会的に認めてもらえるように、いろんな企業と仕事をしながら自分たちの考え方を広めたいと話していました。それがMHAK個人だけでなく、81 BASTARDSというチームがあることによって活動の幅が広がっていると思います。

例えば、adidasと仕事をしたすぐ後にPUMAと仕事をすると不義理をしている感じに受け取られちゃうじゃないですか。契約云々の問題ではなくて人としての問題。そういった個人では受ける事がモラル的に難しい状況の場合は、81 BASTARDSとしての可能性の提案をさせてもらいます。81 BASTARDSは個人ではなくアーティストコレクティブ。なので別人格の様な感じで対応ができるので、可能性が広がりますよね。僕らはメンバーが10人いるので広がる可能性も10倍です。それぐらい可能性を広げていろんな企業と面白いコラボレーションをしていくことがこの日本国内においての僕達絵描きの存在を、世の中に浸透させていく使命だと勝手に思って行動しています。遠慮ばかりしていたら何も変化は起きないし、結果として話題性も作れて面白くなる解決策を生み出す方が絶対に良くなるなと。

—それを踏まえてもMHAKが関わる案件は非常に多いですよね。コラボレーションも、靴、洋服、車、ギター、食器などブランド数だけでなくジャンルも幅広い。スケート、サーフ、スノーの3ジャンルともボードグラフィックを手がけている人も珍しいです。さらに店の内壁や、海の防波堤、駅舎など公共の壁画も手掛けています。自分ではなぜそんなに企画の話が多いのだと思いますか?

周りの人達からは、何かを作ろうと思った時に、僕の作風は出来上がる製品のイメージが想像しやすいと言われたことはあります。だから純粋に頼みやすいのかもしれませんね。具体的なアイデアを持って話してくれる人もいます。「ここにMHAKの柄を入れたい」とか。僕は自己主張よりもクライアントやお客さんに喜んでもらいたいっていう気持ちが大きいので出来る限り相手の要望に寄り添ってプロジェクトを進めるのが好きなんです。客観視することはいつも意識していますし、何より相手と一緒にアイデアを出しながら物作りや空間作りを楽しみたいっていうのが一番かな。なので一緒にプロジェクトを楽しんでくれる方々にはいつも感謝しています。

—2022年のPARCO MUSEUMでの個展では、その時までの18年分の活動の資料をすべてもらい、年代ごとの作品と活動の内容を振り返る形でHIDDEN CHAMPIONとして編集して展示させてもらいました。なかなか大変な作業でしたが、良い反響でしたよね。

最近僕のことを知ってくれた人たちは、僕がどういうことを経てこうなってきたのかを知らないじゃないですか。そこで今までの積み重ねを見てもらいたいと思ったんです。個人的にはあの展示のおかげで全てが収まったというか、今までを整理できたと思っています。会場に来てくれた友人達も、「俺が出会ったのはこの頃だ、でもその前にこれをやってたのは知らなかった」って話してくれたりして嬉しかったですね。身近な人に以前よりも僕の生き方を理解してもらえたと実感しましたし、エンリコ(大山エンリコイサム)からも「この展示方法は新しいですね。今後キャリアを積んだ人はこの展示方法が定着するかもしれません」とも言ってくれました。でも実は、若い頃の作品は下手くそだし見せたくない気持ちもあったんですよ。作家はみんなそうだと思うけど、始めたての頃の迷いながら描いた作品だったり、誰かに影響されたちょっとパクリ感が残ってる作品って隠したいじゃないですか。でも僕はそういうのを経てきて最終的に現在につながっているから隠さずに全てを曝け出そうと思ったんです。

—そうは言っても、当時も今と同じような柄を描いていたので、18年間も同じテーマのものを描いてるんだっていう、その凄さは感じられましたね。

やりたい事はやっぱり柄を纏わせることなんですよね。口で言うよりも、それをきちんとアーカイブで見せれたっていうのが大きかったんだと思います。あの展示のお陰で僕が今までやってきたことへの説得力にも繋がったと思います。

—さて、それでは最近のことを聞きたいのですが、7月にバンコクに新しくできたGALLERY CURUでの個展に同行させてもらいましたが、どういう経緯で決まったのか改めて教えてください。

大栗という友人との出会いがいろいろなきっかけになっているんです。2018年に知り合いのクリエイティブチームから、川越の美容室に壁画を描いて欲しいとオファーをもらったんですが、彼とはそのときに知り合いました。同い年ということもあって仲良くなり、その後いろいろなプロジェクトで僕を使ってくれるようになったんです。新宿伊勢丹や、先ほど話したPARCO MUSEUM、韓国・ソウル『SOFT CORNER』での個展なども大栗とのプロジェクト。その大栗が同世代の人間とバンコクにギャラリーを作るということになってできたのがGALLERY CURUなんです。「そのうち個展やってね」と言うから、逆に「柿落としやらせてよ」と返事したのが始まりですね(笑)。GALLERY CURUには、日本の作家が世界に出るきっかけになる可能性を感じていたので、自分にできることは協力したいと思いました。さらに81 BASTARDS結成のきっかけになった西堀さんもコロナ禍以前からバンコクでもイベント「SETSUZOKU」を定期的に開催していたので、僕的にはバンコクでの個展にはぜったいに西堀さんにも協力して欲しいと思って声を掛けさせてもらったんです。お陰様でオープニングレセプションやアフターパーティーにはMUROさんや瀧見憲司さん、バンコクのMAFT SAIなどをDJとしてブッキングしてくれて最高な想い出になりました。

—最近の作品についても聞かせてください。新宿伊勢丹やPARCO MUSEUMでは立体作品を発表しましたが、どのように作ったのですか?
伊勢丹新宿本店の企画で“ISETAN 3D ART PROJECT”っていうのがあって、その企画の一つとしてが立体の始まりですね。それまでに立体化されたものは僕の作品として存在してなかったので原型師にどうイメージを伝えるかが問題でした。自分の頭の中にはイメージはあるけれど、それをわかりやすく絵で表現して伝えることができなかったんです。でも原型師の方がとても理解力のある方で、平面図や話の中から僕の意図を汲み取ってくれて3回目のサンプルぐらいで完璧なものを仕上げてくれました。僕はイームズのグラスファイバーのシェルチェアが好きなので、素材自体にも拘りたくて無理を言って同じ技法で仕上げてもらったんです。PARCO MUSEUMの作品はそれを元に、巨大版を作ってもらった感じですね。

—MHAK柄を型どったシェイプドキャンバス作品も新しいですよね。

シェイプドキャンバスに出会ってからはその可能性に惹かれて、一時期はそればかりに偏ってましたね。僕の柄がシェイプドされることによって、それ自体がパーツになり得ると思ったんです。部屋自体がキャンバスとなって、シャイプドキャンバスの配置によって空間全体を作品にすることができるのではないかって。それで何作か発表した後にGALLERY TARGETの水野さんから、コレクターさんは定番の四角い作品を所有するのが大多数だからシェイプドキャンバスは他の作品と一緒に飾りづらいかもねとアドバイスをもらって、作品をインテリアとして家具のような主張をさせれるようにという事と他の作品と一緒に飾る親和性を考えて、木材をキャンバスの外に直線的にはみ出させた少し特殊なシェイプドキャンバス作品を作ったりしています。シェイプドキャンバスにはまだまだ可能性を感じているので、継続していろんなアイデアをテストしていきたいと思っています。

—スケートパークなどの壁画はやはり現場ありきのローカルとのコミュニケーションが重要だと思いますが、ギャラリーでの展示は知らない人に向けたもので、作家性やMHAKという名前を求められるものだと思います。アートシーンとはどう接していますか? 変化はありますか?

世の中のアートシーンに関しては僕もまだまだ分からない部分が多いです。なんとなく少しは触れ合えるようになってきたかなくらいです。というのも10年ほど前はアートマーケットのコレクターさん達との交流は殆ど無かったし、そもそも絡むことから逃げてたという感覚もありました。アートマーケットの外にいるほうが楽だったし、その方が自分勝手に楽しめるっていう感覚が強かったのかもしれません。実際、アートシーンの人たちに作品を見てもらうようになってからは自然と考えることが増えていきました。自分が描いている作品で世の中をどうしていきたいかを以前よりも深く突き詰めて整理する必要がでてきたし、なぜ描くのかをもっとわかりやすく簡潔に説明できなくちゃいけないなと。そういった変化は特に違和感もなく自分の中で自然と起きました。自分が持っているバックボーンは僕を形成してきた“僕らしさ”の一番の武器にもなるし考える材料にもなる。“僕らしさ=作品”に強い裏付けや説得力も持たせたいので、まだまだ考えなきゃいけないことや学ぶことは多いですね。

—それでは最後の質問です。10年前、“MHAK柄”がドットやストライプなどのように、当たり前の柄として認知されるようになって欲しいと話していました。この10年、色々なところに侵食してきたと思いますが、達成度はどのくらいだと思いますか?

10年前に比べたら色々な場所に作品を残せている実感はありますが、満足はしていません。段階で言うと100のうちまだ35くらいですかね。10年前は…10くらいかな。だからこの10年で25くらいは進めたかなって感じです。その辺を歩いていてもっと普通に目につくような感じになれば良いなーと。前にも言いましたが僕自身“MHAK”は認識されなくてもいいんですよ。なんとなく柄の一つとして広まって欲しい。この柄があることによって、少しでも雰囲気の良い場所に感じてもらえればいいというか、“この柄色んなところにあるな”になっていたい。だからまだまだ全然足りないんです。もっといろんな街や空間、日常的に使うものや食品に至るまでモコモコを纏わせていきたいですね。

MHAKのプロフィール

MHAK a.k.a Masahiro Akutagawa 1981年 福島県生まれ。 デザイナーズファニチャーや内装、様々な空間に影響を受け、絵画をインテリアの一部と捉えた「生活空間との共存」をテーマに創作活動を行う。抽象表現を追求し曲線で構築し反復する独自のパターンで、個人邸やホテルなど数々の内装壁画を手掛ける。これまでに国内はもちろん、アメリカ(ニューヨーク、ロサンゼルス、ポートランド)、アルゼンチン(ブエノスアイレス)、オーストラリア(メルボルン、シドニー)、イタリア(ミラノ)等で作品を発表。また、故郷である會津とのアートを通じた積極的な取り組みや、アーティスト集団“81BASTARDS”の一員としても活動している。

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